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H30.5.25(金)の 岩手大学 宮沢賢治センター 定例研究会での『 映画「 愁いの王 – 宮澤賢治 – 」で描きたかったこと』の講演内容を下記に記します。

 さて、この映画『 愁いの王 – 宮澤賢治 – 』ですが、宮澤賢治についてのドキュメンタリーではありません。宮澤賢治の生涯を描いた長編劇映画です。しかし、生涯を描いたといっても、単なる偉人の伝記物映画ではありません。もちろん、賢治の世界観を描こうと思って製作しましたが、元々は自分の描きたい事を映画というものを通して開示するために、賢治という人間の生涯を描いてみました。

 
 私が小学校の2年生の時、7つか8つの時ですので、今から50年以上前の事です。
私は盛岡の岩山の南側斜面の小山(現在の東山)という所で生まれ育ちました。
近くに盛岡ー宮古間の106号線が通っていて、当時は未だ舗装もしていなくて車が通る度に砂埃が舞い上がっていました。
 或る日、私は、その砂塵の舞う中で大型トラックのくるくると回る大きなタイヤを何台も何台も見ているうちに、突然、“ 宇宙の果ては?” “ 宇宙の外には何が?” とか “ そもそも、この地球や自分とかという存在とは何?” という様な問いというか不安の様なものに襲われました。それからというもの、自分自身の存在の不安定さという心の内面での苦しみや恐怖感から逃れるのに必死でした。

 しかしながら、自分の内面をつきつめていくと、人間のレベルでの思考などでなく、何と言いましょうか、魂の奥深くのところでの直観知とでも言いましょうか、それによって “ 宇宙の真理とは?” との問いに答えが見つけ出せる様な気がして、それから、この魂の領域での直観知というもので自分なりに宇宙の法則を追い求めて来ました。

 
 ところで、宮澤賢治の作品についてですが、小さい時から好きで読んではおりました。難解でよく理解できないところもありましたが、魅力的で惹かれておりました。
 ずーっと、子どもの頃から宇宙の法・摂理を考えては思い詰めていましたが、ある時、“ はて? 自分の好きな映画というもので、ソレを描けないものだろうか?” と思いました。
 そして、わからないながらも賢治の魔力に引かれて心に引っ掛かっていましたから、” この魅力的な宮澤賢治本人を通して、自分の感じている世界観を描く事ができないものだろうか?” と思い、宮澤賢治の生涯を映画化しようと決めました。1977年の秋の事です。

 それから、賢治作品や資料等を調べてシナリオ化したいと思ってやってきましたが、やはりどうしても、法華経を読まなければ核心のところでわからないと思いまして、法華経をいろいろな方の訳で読んでみました。
 ところが、法華経を読んでいくうちに、今度は日蓮の事や著作を読まないと…そうしているうちに宮澤家で信仰していた真宗の根本経典である浄土三部経等を、また親鸞の著作等を読んでいくという様にとめどもなくなってしまい、こんなに時間がかかってしまいました。
 もちろん、映画製作資金の調達の問題が大きかったのですが…
当時は、まだフィルムの時代でしたので、今よりも膨大な製作資金が必要でした。
 
 それでも、何とか2000年にはシナリオに着手する事ができ、約8年かかって脚本ができました。
それから、全カットの絵コンテを描き、岩手県中回ってロケハンティングをして、2011年の春にはクランク・インする事ができるところまで来ました。
 ところが、3月に東日本大震災が起きて、多少延長せざるをえませんでした。
 結局、2011年6月にクランク・インして翌年の夏にクランク・アップする迄、1年以上にわたって撮影しました。その後、編集、録音、整音、音楽、オーサリング等していくわけですが、次から次と難問が起き、完成したのは昨年の1月でした。製作そのものに6年以上も費やしてしまいました。
 宮澤賢治の映画を撮ろうと思ってから、40年もかかってしまいました。

 さて、その映画の方はといいますと、結局、二部構成の上映時間3時間18分の長尺になってしまいました。
 第一部は「業の花びら」という題名で、2052年の近未来から始まり、そして1896年の賢治の誕生からトシが亡くなった後の樺太の栄浜でのシーン迄です。
 第二部は「装景者」という題名で「春と修羅」出版から始まり賢治の死後、数年経ってから森佐一が伊藤チヱを東京に訪ねて行くところ迄、そして、最後は映画のファーストシーンの2052年の近未来のシーンで終わります。
 映画の最初と最後の2052年の近未来のシーンは経埋ムベキ山でのシーンです。或る男が賢治の弟の清六が埋経したとする経埋ムベキ山から経筒に納められた法華経を見つけ出し、それを持って下山するところで映画は終わります。

 日本では、1052年に末法の時代に入り、1000年後には、教(教え)・行(修行)・証(悟り)のすべてが無くなる法滅の時代が来ると恐れられていました。
 2052年は日蓮没後770年にあたります。賢治の手帳には経筒の絵が描かれております。

※奉安 妙法蓮華経全品 立正大師滅後七百七拾年

立正大師(りっしょうだいし)は日蓮のことです。

 また、その手帳の後の方には

“此ノ筒法滅ノ后至心 求法ノ人ノ手ニ開カレン コトヲ冀フ 
此ノ経尚世間二 マシマサバ人コノ筒 ヲトルコトナク再ビ コノ地中ニ安置 セラレタシ”

とあります。だから映画では、経筒を手にした或る男は、その経を持って下山しました。 
 また、その手帳のあとの方には、32ヶ所ばかりの経埋ムベキ山の名が書かれていますが、このシーンはその内の一つの岩山で撮影しました。
 この岩山のどこかに清六さんが埋経したと思いますが、清六さんのお孫さんの宮澤和樹さんは “ 祖父はどこに埋めたかは、決して誰にも言いませんでした。” と仰っていました。

 映画は2052年から始まるのですが、すぐに時代は1896年の賢治生誕の年のシーンに進みます。
 賢治誕生からすぐの1896年8月31日に陸羽地震が起きて大きな被害を及ぼしますが、映画ではこの大きな揺れの後に天から白い花びらがザンザンと降って来ます。

 そして、映画は賢治の少年時代から妹トシが亡くなった後の樺太旅行の1923年(大正12年)8月4日迄が前半部分になりますが、特に賢治と父との宗教上の対立には力を入れて描きました。
 東京に家出する前の1920年(大正9年)当時は、妹のシゲが言う様に “ 毎日毎日、お父さんと兄ナさんが言い争ってばかりいて、家の中が暗かった。” そうです。ただ、具体的にどの様に争っていたかはあまり資料がないので困りましたが、父・政次郎というか宮澤家の信仰する浄土真宗・親鸞と賢治の信仰する法華経・日蓮を対比して描きました。
 私としては、父と子のどちらに与するという様な事ではなく、どちらも真っ当な事を言っていると思いますので、それぞれの考え方や思いを描きました。

 1920年(大正9年)の宮澤家での、父と子の宗教論争のシーンはかなり長いセリフ劇のシーンですが、そのシーンの初めのところで、賢治が父に法華経の第二十七『妙荘厳王本事品(みょうしょうごんおうほんじほん)』を勧めます。
 それは、妙荘厳という王が外道の婆羅門(ばらもん)の信者となっているので、二人の王子の浄蔵と浄眼が母・浄徳の勧めで神通力を現し、父の王は心が清浄(しょうじょう)となって、仏法の信者になったというお話です。
 賢治とすれば、この二人の王子の浄蔵と浄眼は自分とトシで、迷える妙荘厳王は父・政次郎という事だったのかもしれません。

 父は父で賢治を、法華経・国柱会にだけ固執するのはどうかと諌めるのですが。

 賢治は父に、“ わが説ける所の諸(もろもろ)の経あり。しかも、この経の中において法華は最も第一なり ” “ 一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)は皆この経に属すればなり ” と力説します。つまり、“ わたし(仏)の説いた教えの中でも法華経はもっとも大事な経である。” “ 菩薩たちがやがて得る無上なる悟りというものは、すべてこの経の中に含まれている。” と。

 それに対して父・政次郎は、確かに法華経は一番すぐれた教えで、この経に帰信さえすれば十分であると認めつつも、“ この法華経は最もこれ信じ難く解り(さとり)難きなり。” と。つまり、“ すべての教えの中で、この法華経はいちばん人に理解されにくいものだ。” と言います。

 “ この経は方便の門を開きて真実の相を示すなり。この法華経の蔵(くら)は、深(はなはだ)固くして幽(おく)深ければ、人の能く到るものなし。(今、仏は菩薩を教化し成就せしめんとして、ために開示したもうなり。)” ですね。

 また、“ この経は、これ諸仏の秘要の蔵なれば、分布して妄りに人に授与すべからず。諸の仏・世尊の守護したもう所なれば、昔より已来(このかた)、未だ曾て顕(あらわ)に説かざりし。” といって、安易に広めるものではないという事ですね。

 映画の中では、賢治は父との激しい宗教論争のあと、妹トシに “ 如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して、しかしてすなわち応(まさ)に四衆(ししゅ)のために、広くこの経を説くべし。” であるのにと反省の弁を言います。

⦅ 四衆とは比丘(びく 男の出家者)、比丘尼(びくに 女の出家者)、優婆塞(うばそく 男の在家信者)、優婆夷(うばい 女の在家信者)⦆
 
 如来の室に入り、つまり、仏の部屋に入るとは、一切衆生を哀れみ慈しむ慈悲の念を持つ事。如来の衣を着、つまり、仏の衣服を着るとは、腹を立てず心を穏やかにして衆生と接する忍辱(にんにく)の心を持つ事。如来の座に座して、つまり、仏の座に座るとは、あらゆる執着を捨て切り、一切すべて空であるという、空という事。

 この慈悲・忍辱・空は賢治が肝に銘じていた事かもしれませんが、父と宗教論争になる時は、つい熱くなっていたのでしょう。

 以上、これらは法華経の第十法師品にありますが、第十四安楽行品にも、“ 此の経は為れ尊、衆経の中の上なり。我常に守護して妄りに開示せざりしを 今正しく時なれば汝等が為に説く。” とあります。

 さて、仏教では宇宙には十の領域があるとされています。
下から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天、そして仏道修行の三段階である声聞・縁覚・菩薩、それに仏の世界の十の境地です。
 日蓮の『 観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)』に “ 或時は喜び、或時は怒り、或時は平(たいら)かに、或時は貪(むさぼ)り、或時は癡(おろか)現じ、或時は諂曲(てんごく)なり、怒るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲なれば修羅、喜ぶは天、平かなるは人なり。” とあります。
 この「諂曲」というのは、こびへつらって、心のねじ曲がっていること、つまり修羅のことです。

この十の世界が、それぞれ別のものでなく、互いに内包しているということを十界互具(じっかいごぐ)といいます。人の心には地獄も仏の世界も同時に在るという事も言え、境界がない、区別も差別もなく自他とのボーダーレスとも言えます。
 自他の境がなければ、私流に解釈すると、表とか裏とか、一も多も此岸(しがん)も彼岸も、生も死も、実も虚も、本も迹(しゃく)も、有も無も区別がありません。
 ここでいう「本」とは、現象を超え、感覚的に把握できない本質、「迹」とは感覚的な現象の世界に現われたものという意味です。

 ここに、法華経第二方便品の二乗作仏の教えもあると思います。すべてのものが平等に仏になれるという一仏乗の教えです。この一仏乗に到る道は菩薩道といわれますが、他を哀れみ慈しむ慈悲心、自己を捨てて他者を救うという無我の境地ですかね。

 この第二方便品を天台では「諸法実相(しょほうじっそう)」と読み解きました。
「諸法実相」は一切存在がそのまま真実の姿をしているという事で、これをさらに展開させたのが、中国天台宗の智顗(ちぎ 538ー597)の『摩訶止観(まかしかん)』に説いている「一念三千」ということです。「一念三千」とは日常起こす心(一念)が直ちに全宇宙(三千世界)である、全世界(三千世界)の真理が含まれているということです。
 この一念によって十界どこにでも在ることができる。だから、深く自己の心を見つめれば、内なる仏の声と響き合うことができるというわけです。
 この智顗の「一念三千」を「理の一念三千」といい、日蓮は「事の一念三千」といいました。事は理に対して実践という意味で「南無妙法蓮華経」と唱題する声の内にすべてがあるというわけです。
 映画の中でも描きましたが、『法華経』の八巻二十八品六万九千三百八十四の文字が “ 妙法蓮華経 ” の五文字にすべて収められているわけです。

 “ 法華経はこの第二方便品から出発して、第十六如来寿量品で完成するのです。” と賢治は言っておりますが、初めて法華経を読んだ時、賢治はノートに “ 如来寿量品、太陽昇る ” と感激して書きました。

 この法華経の第十六如来寿量品では、絶対超越たる不滅常住の永遠なる仏を説いていますが、第二方便品の区別なくボーダーレスで全宇宙をとらえるというところから、宇宙の法たる永遠不滅の仏を心の内に見ることができるのではないでしょうか。

 釈尊は“自分はこの世に出て仏になろうがなるまいが法はある”と仰られたと言い伝えられています。
『大乗起信論』の注釈書『釈摩訶衍論(じゃくまかえんろん)』では、絶対的根源的真理の “ 不二摩訶衍(ふにまかえん)” が強調されていますが、絶対不変の真理、究極の真実という “真諦(しんたい)思想 ” を私はこの法華経第十六如来寿量品に感じます。

 第二方便品の中に、宇宙の絶対唯一の究極の真理である法を “ 仏はソレがどのように在るのか、どのように見えるのか、なぜそうであるのかを判っている。しかし、人間はソレを示すことはできない。ソレについて話し合うこともできない。そのようなことのできる人間はこの世に存在しない ” とあります。
 だから、映画の中で、賢治が関徳彌に言うセリフに、“ 神には神の身土があります。まことの道は誰が考え誰が踏んだというものでない。おのづからなる一つの道があるだけです。” とあります。
 宇宙の真理である法というものは、古(いにしえ)のお偉い宗教家や哲学者や超人が考え導き出したものではない。どんなにすぐれた人間のレベルでも法を感じ取ることはできても、ソレを示すことはできない、という事は私が強調したい事の一つです。

 親鸞が著した『末燈鈔(まっとうしょう)』第五に “ 自然法爾(じねんほうに)” という事が書かれています。
 これは、親鸞の最も重要な根本思想だと思いますが、親鸞は自(おのず)からそうさせる[然(ねん)]、法としてそうなる[爾(に)]道理を “ 自然法爾 ” とし、真理のもつそれ自体の真理性がおのずからに現われているとしました。
 それは一切のものの根源的な道理であり、阿弥陀仏そのものとしました。
 よって、阿弥陀仏は無上仏であって、だから形がなく、したがって自然(じねん)というのだとして、この様に記しています。 “ 形もおありにならないわけを知らせようとして、とくに阿弥陀仏と申し上げると聞き習っています。阿弥陀仏は自然(じねん)ということを知らせようとする手だてであります。” と。
 なかなか人間にはとらえることができない “ 自然法爾 ” という道理を、人間が感覚的な現象の世界でとらえられる様、阿弥陀仏と言っているというわけです。

 賢治が亡くなる前日の夕方に、父と宗教の事等いろいろと語り合ったらしいのですが、どの様な内容だったのか、あまり資料がなく具体的にはわかりませんでした。一説には、この時を境に父・政次郎は真宗から日蓮宗に改宗するという方に傾いていったのではないかと言われていますが。映画ではここのシーンで政次郎に “ 自然法爾 ” のことを語らせています。難解な思想ですが、親鸞の重要な思想として、どうしても映画で描きたかったものですから。

 さて、映画は二部構成になっていますが、第二部の題名は「装景者」です。
 “ 装景 ” という語は造園家の田村剛が1918年に出した「造園概論」にある装景(Landscape Architecture)を踏まえて「 装景手記 」を発展させたとは思いますが、皆さんもご存知の様に、装景は景観や景色等を設計するといった花壇設計の様なものだけではありません。
 賢治研究家の方たちがよく壮大なイメージで美や科学や宗教を設計するといったふうに書いています。
“ 今日における世界造営の技術の範囲に属しない ” として “ 地殻の剛(かた)さ これを決定するものは、一つは如来の神力(しんりょく)により、一つは衆生の業による ” また、“ 風景をみな諸仏と衆生の徳の配列であると見る ” という様に宇宙的・宗教的イメージを思わせます。

 もちろん賢治は、自然観や科学の美をも包含して装景することにより、真理そのものが具現している世界・一切の浄土の根源的な絶対界という常寂光土を開示したかったのではないでしょうか。開示といっても、もちろん、賢治も人間ですからソレを示すことはできませんが、感知させることはできると思います。

 また、賢治は “ この国土の装景者たちは、この野の福祉のために まさしく身をばかけねばならぬ ” と記しています。

 この装景のシーンは、映画では1928年(昭和3年)6月14日に大島での伊藤七雄の農園で描きましたが、中々難しく、撮影を最後の最後まで残してしまいました。自分で撮っていて、大変苦労して難儀したシーンです。

 こういう事をいっては何ですが、私自身も映画を撮ることは、ある意味、装景するつもりで撮っています。
 

 「 松林図屏風 」で有名な長谷川等伯(はせがわとうはく 1539−1610)を理解するには、等伯が信仰した法華経を読まなければ理解できないと言う人もいますが、同様に宮澤賢治を賢治の作品を理解するには法華経を読む必要があると思います。

 法華経を避けて賢治を解釈しようと思う人が多いのは、先ず法華経が難解で読みづらいと思う事、それから、賢治の作品( 賢治本人も含めてですが )の世界が幅広く奥深いので、法華経を読んでいなくても、いろいろと解釈や分析ができるからなのではないでしょうか。とはいえ、やはり法華経を読んでからまた賢治を読むと、“ なるほどなあ、” と納得する事もあろうかと思います。

 あの有名な心象スケッチ「春と修羅」の難解で魅力的な序文も、法華経第二十六陀羅尼品(だらにほん)の呪文[しゅもん(唱句)]が意味を訳さないで音として運動し、宇宙の創造は波動から始まり、例えば、生も死もエネルギーの移動という風にとらえるとわかりやすいと思いますが。

※参考・・・ リン・マクタガード著『 フィールド 響き合う生命・意識・宇宙 』
                 ( ゼロ・ポイント・フィールド ZPF )

 また、第二方便品のところで述べました 十界互具(じっかいごぐ)・ 一念三千 を考えると、
( すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから )もイメージが湧くと思います。

 もちろん、何でも安易に賢治の作品を法華経にあてはめて解釈するのは気をつけなければいけませんが。

 また、賢治の詩に祭日[二]という陀羅尼を書いた文語詩がありますが、映像と音が浮かんでくるすばらしい詩だと思います。

 最後に一つ。
あの有名な「雨ニモマケズ」についてです。
最後に、

ホメラレモセズ
クニモサレズ
  サウイフ
     モノニ
  ワタシハ
    ナリタイ
  
で終わっていると思われていますが、手帳の次の頁に
 
  南無無辺行菩薩
  南無上行菩薩
 南無多宝如来
南無妙法蓮華経  
 南無釈迦牟尼仏
  南無浄行菩薩
  南無安立行菩薩

と書かれていて、実はそこで書き終わっていると思います。        
多宝如来は法華経第十一見宝塔品(けんほうとうほん)に出てきます。
また、この四菩薩は法華経第十五従地湧出品(じゅうじゆじゅつほん)に登場する、地中から湧き出した無量千万十億の菩薩たちの中の上首、最上位の指導者たちです。

これから、少し映画の断片映像を流します。
機会がございましたら、是非、映画を全編観て頂けたら幸いです。

本日は、本当に有り難う御座いました。

映画『 愁いの王 – 宮澤賢治 – 』監督 吉田重滿